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西川町/心のなかの山伏的感性

羽黒出羽三山の山伏・坂本大三郎さんは、いかにも山伏らしく修験の道をゆく日もあるけれど、それだけではない。

山のなかを歩き回って山菜や木の実を採っていることもあれば、山の獣の毛皮で道具をつくっていることもある。版画を彫っていることも、雑誌に寄稿する文章を書いていることも、イラストを描いていることもある。アーティストとして芸術祭に参加することも、都会のトークイベントでスピーカーをすることもある。山形市七日町とんがりビルの「十三時」という雑貨店のディレクターでもあるし、2018年には中国貴州省の山奥の村をひとりで旅したし、御蔵島でイルカと泳いだりもしている。

さまざまな境界線を超えて歩みゆく彼のフィールドに貫かれているものとは、一体なんなのだろうか?

坂本:羽黒の修行のために山形にきたのは13年前のことになります。
「山伏になってからなにか変わりましたか?」と聞かれることがありますが、東京や千葉で暮らしていた生活とは、あたりまえですが環境がちがいます。山に囲まれた場所に引越しをしてきたので、山菜を採るべく山を歩くことが増えました。けれど、ぼく自身の生活の仕方や態度が変わったかというとそんなことはないと思います。

日本の文化や芸術そして芸能はどういうところから発生して、どういうふうに発展してきたのか。それを知りたい、勉強したいという思いから、ぼくは山伏や山形の山間部の文化に関心を持ちました。

ぼくが学びたいと思ったことは色々な本をたくさん読めばわかることかもしれません。でも、ぼくは本に書いてあることだけで物事を理解できるような能力が乏しかったのかもしれませんが、その場に行ってみないとわからないことや確かめられないこともあるのではないかと思って、実際に山に入って山の文化を体験して、やがて山形で暮らすようにもなりました。

坂本:山伏というと「聖職者」というイメージをもつひとがいるかもしれません。しかしぼくは、山伏というのはそれだけじゃなくてとても「俗」な側面をもっている存在だと思います。

かつて山伏というのは野武士や武士とも近い存在で、「荒くれ者」という性格を帯びていました。荒くれ者と言うと悪いイメージですが、彼らの感性から生み出された芸術や芸能も多く、そういった点では社会を豊かにしていた存在でもありました。

また、歴史をふりかえって見ると、山伏的な感性が必要とされた時代と、必要とされなくなった時代があって、江戸時代には武士からそうした「荒くれ者」的な要素が取り除かれることによって武士道という秩序立てられた道徳観や社会が形成されていきましたし、明治時代には廃仏毀釈というものが行われましたが、ここでもやはり山伏は社から排除されました。 

山形ビエンナーレにて。

坂本:山伏という存在に興味をもったきっかけのひとつとしては、日本人は生きているなかで、どんなことに充実感や幸福感を持ってきたんだろうという関心がありました。

社会的に成功して経済的に豊かになることは、ひとつの幸福のモデルであると思いますが、自分としてはそれを目指して人生を費やすことに少し違和感があって、「気の持ちよう」という言葉があるように、ステータスやお金の問題ではなくて、結局は心のあり方なんじゃないかと思って、じゃあ、どうやってじぶんの人生をより良いものにしていくか、と考えたら、それはもう心のもちようだな、と思いました。

その心というものを日本人はどのように扱ってきたんだろうと、かつての時代に民間信仰を担って、幻想を扱ってきた山伏のことを知りたいと思ったんです。

簡単に言ってしまうと、一回きりの人生なので自分できちんと納得できるように生きたいと、そう思ったということなんです。それはいまに至るまでずっと持ちつづけているテーマであり、じぶんの旅や活動の動機づけとなっています。 

 

text & photo:那須ミノル(real local yamagata)
メイン写真提供:坂本大三郎